反復語とエロス

 近頃、「文学」の定義があやふやになってきているが、”文学”的なものとは、読前/後で何か自分を変えてくれ、見返す度に違う顔を見せてくれるものではないかと私は考えている。私が初めて”文学”と出会ったのは、あの教科書に載っている『高瀬舟』を読んだ時でも『吾輩は猫である』を読んだ時でもなく、中学生の時、大江健三郎『死者の奢り』を読んだ時だったことはよく記憶している。

 日頃から純文学を読むわけではないという友人が「谷崎潤一郎の『春琴抄』を読んで”文学”を感じた」と先日言ってきた。そんな友人が『春琴抄』の次に読もうと手に取ったのが坂口安吾『白痴』だという。思い返せば、私も高校生の時に『春琴抄』を読んで驚嘆し、その次に手に取ったのは『白痴』で、これも大変気に入ったので、その話を聞いた時、なんだかとても嬉しくなったのだった。

 『白痴』というのは纏めたら、主人公が空襲下で隣人の白痴の女を自室に匿い、肉欲に溺れていくという<デカダンス派>な作品であるのだが、この作品の良さは性行為の描写が殆どないのにも関わらず性行為を彷彿させて来ることだ。

 『白痴』は作中で主人公が女を匿ってから文中に反復語が増える作品である。主人公の家を空襲が直撃する4月15日には「愈々」「やれやれ」「長い長い」「早く早く」(他は略)と徹底的に反復語が用いられている。この言葉を「反復させる」という作用はまるで性行為の運動を表しているようではないか。タナトスの近づく情景にエロスを持ち込むのに、「反復」という言葉の作用を用いるという坂口の書き方に私は大変驚嘆したのだ。

 性的な描写を描こうとするのに下品なオノマトペや直喩表現を用いるということはよくあるが、坂口のように行為自体は描写せずに言葉の作用によって表現するというのは決して簡単なことではない。

 きっと主人公は空襲下で死に隣接した時も、白痴な女に欲情していただろう。そのことは、この「反復」という言葉の作用が明らかにしてくれるのである。

 

 

 

白痴 (新潮文庫)

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死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

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春琴抄 (新潮文庫)

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